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株式会社五十嵐商会 五十嵐和代社長② 【私の警備道】~第2回 ビジネスマナー講師と二足のわらじ~

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株式会社五十嵐商会 五十嵐和代社長② 【私の警備道】~第2回 ビジネスマナー講師と二足のわらじ~

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第1回 「女性の気付き」は危機管理  掲載中こちらをクリック 
「ていねいな仕事」モットーに60年 / アパートの一間から始まった歴史 / 「お客さんのために何かして来い」 / 夫婦が会社発展の両輪 / 「警備」につながる「連想ゲーム」 

 

第2回 ビジネスマナー講師と二足のわらじ

 


 

300人中、女性3人の試験に合格

 

 実は、父・眞一さんの「警備業宣言」は五十嵐社長にとっては寝耳に水だった。小さなころから目にしていた一生懸命働く両親の姿は尊敬の対象であり、いずれは一人っ子の自分が会社を継ぐのだという思いは持っていた。ただ、そこに「警備」というジャンルはなかったという。それでも警備業務を始めるために、眞一さんから頼まれて警備員指導教育責任者の資格を取ることに迷いはなかった。その当時の受検者は300人いたが、女性はたった3人だった。合格し、1984(昭和59)年12月、五十嵐商会は警備業も開始した。


 

迷わなかった思い「両親の興した会社で生きていく」

 

七五三で両親と一緒に記念写真
七五三で両親と一緒に記念写真

 そのころは短大を卒業して簿記の学校に通っていたが、「他人の釜の飯も食わなければ」という眞一さんのことばに従ってよその事務所の手伝いもしていた。警備業の資格を取るのに迷いはなかったというが、まだ20代前半。言ってみれば遊びたい盛りだ。自分の将来の夢もあったのではないだろうか。ステレオタイプの質問と思いつつ、「美容師だとか看護師だとか、女の人がそのころ憧れていた仕事に就きたいとは思わなかったのですか?」と尋ねたが、すぐに言葉が返ってきた。「私にはそういった夢はなかったんです。ここで生きていくと思っていましたから」。正直なところ、予想外の答えに二の句が継げないでいると、五十嵐社長が「ただね」とつないでくれた。「そのつもりではいたんですけど、社長になるとは思っていなかったの。結婚してゆくゆくは相手の人に社長をしてもらい、私は役員で支える役回りをするつもりだった。でも、38歳の時に父が亡くなって、結婚する前に社長になってしまったんですね」。

 警備の仕事は、当時ビル管理の契約をしていた得意先からすぐに入った。もちろん、五十嵐社長も現場に立った。その経験は勉強になったという。「トラックの出入りを誘導する仕事もよくしましたが、最初のころは自分でいいと思ったところに立って棒を振っていたんです。でもあるドライバーさんから『ねえちゃん、そんなところに立ってちゃダメだ』と𠮟られました。『自分からはトラックが見えていても、こっちからは見えにくいんだよ。ドライバーから見えやすいところにいてくれなくちゃ』って。相手のことを考えなきゃいけないんだということを思い知らされました」。警備の講習で覚えたことだけで事足りるわけではなく、お客さんから教えられて役立つことが多かったと振り返る。


 

ビジネスマナーの大切さを痛感、教える側に

 

社内研修で講師役を務める五十嵐社長
社内研修で講師役を務める五十嵐社長

 警備業務は交通誘導から施設管理へと広がっていった。それにつれ、会社に苦情が来ることが増えていった。「態度が悪い」「口のきき方がなっていない」「服装がだらしない」などなど。会社の評判が悪くなっていると感じた五十嵐社長はビジネスマナーの社員教育が必要だと痛感した。ただ、講師を派遣してもらうと1回で20万円。そうそう何度も頼める金額ではない。調べてみると、ビジネスマナー講師の養成講座というのがあった。月~土の授業1カ月のコースで40万円。「社内研修は繰り返しやらないといけない。それなら自分が講師になろうと決心しました」。もともと素養があったのだろう。講座を修了し講師資格を取ったら、講座を運営している教育コンサルティング会社から、その会社の試験を通れば派遣講師になれるのでやってみないかと打診された。せっかく手にした資格、自社以外でも生かせるならと、試験を通って講師に登録した。30歳になる頃だった。

 父・眞一社長(当時)の補佐をして社員教育も担いながらビジネスマナー講師として飛び回る「二足のわらじ」を地で行く日々。そのバイタリティーに驚くが、講師として赴いた先がビールや通信、鉄道、証券、旅行など各業界のトップクラスの会社であることにも目を見張る。特に、名古屋市に本社のある鉄道会社とは派遣講師業を辞めるまで8年間の付き合いになった。教える内容も単にマナーだけでなく、駅助役に就く人たちの部下育成方法といったマネジメント分野にも及んだ。教える側としての体験は様々な教訓になったが、その一つは「受講生に恥をかかせないこと」。研修を受けている人はそれなりの地位にいる人だ。みんなの前で笑われるようなことがあるとせっかくの研修内容も台無しになってしまいかねない。「例えば講義中に寝ている受講生がいても、直接起こすようなことをしてはいけません。隣の人に質問するんです。そうするとたいていの場合、ハッとして目覚めますよ」。そうしたノウハウ、気遣いは当然、自社にも適用する。


 

「警備の50%は接客業」の確信

 

障碍者対応訓練を見守る五十嵐社長
障碍者対応訓練を見守る五十嵐社長

 自社の施設警備業務への苦情から始めたビジネスマナーの勉強、そしてスペシャリストとしての仕事。これらを通して得た確信が「警備の50%は接客業」ということだ。警備の仕事には立哨や巡回、誘導といった基本的な業務は当然あるが、人に対して指示や要請をすることも多い。五十嵐社長は言う。「『そこを通らないで下さい』とか『こちらに回って下さい』ということでも、言葉遣いや態度が良くなかったり間違ったりすると反発され、苦情につながってしまいます。そういった場面で肝に銘じておかなければいけないのは『自分たちの仕事は接客業なんだ』ということ。接客マナーが欠かせないんです」

 「二足のわらじ」時代は多忙を極めたが、他社で教えながら自社での社員教育のあり方、進め方を確立し、マネジメントの勘を磨くこともできた。講師の仕事はやりがいがあったが、父・眞一さんが亡くなって社長を継ぐことになり、講師のわらじを脱ぐことにした。小さなころから両親の仕事を見ていたし、警備業に参入してからは24歳の時から父に代わって東京都警備業協会の総会や賀詞交歓会など協会関連の催しにもほとんど出ていた。不安は特になかった。眞一さんからは「身の丈経営」「流行は追うな」と戒められていた。ただ、眞一さんが亡くなる少し前から口にしていた「これからは、生ごみは燃やすものではなくリサイクルする時代になる」ということばは、強く頭に残っていた。かつての「警備業宣言」に似た響きがあった。五十嵐和代社長は一歩、踏み出すことにした。すでに会社の大きな柱になっていた廃棄物処理事業から、生ごみをリサイクルして肥料にする新しい事業を発展させる――。父の遺志を完結させようと決意した。

 

(阿部 治樹)


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