先人からのメッセージ~碑に刻まれた災禍の記憶~ ⑯ | 過密航路・浦賀水道での潜水艦と遊漁船の衝突事故

先人からのメッセージ~碑に刻まれた災禍の記憶~ ⑮
「天災は忘れたころにやって来る」。物理学者・寺田寅彦(1878~1935)のことばと伝わります。備えをおこたってはいけないという戒めの名言として知らない人はいないでしょう。ただ、私たちはその重みをどこまで実感しているでしょう。近年の出来事を振り返ると「こんなこと想定外だった」と釈明されることが多すぎはしないでしょうか。実のところ人間は元々そう言いたがる生き物なのかもしれません。そんな本性を知っていたから、先人は消してはいけない記憶を碑に刻んで後世に伝えようとしたのではないでしょうか。先人のそんなメッセージの遺る碑が日本各地にあります。国土地理院は天災を後世に伝えるそうした碑の記号を新たに作り、2019(令和元)年から「自然災害伝承碑」として地理院地図に載せ始めました。私たちも、人々の安全と安心を守るためのセキュリティ・ニュースを発信する会社として、天災はもちろん、人が引き起こした禍の記憶を伝える碑も各地に訪ね、先人からのメッセージを紹介したいと思います。「想定外」が一つでも減ることを願いつつ。
過密航路・浦賀水道での潜水艦と遊漁船の衝突事故
犠牲者30人、追悼する碑は自衛隊施設内に

碑の概要 | |
碑名 | 鎮魂之碑 |
災害名 | 潜水艦なだしお・遊漁船第一富士丸衝突事故 |
災禍種別 | 海難事故 |
建立年 | 不詳 |
所在地 | 神奈川県横須賀市鴨居4丁目、海上自衛隊観音崎警備所内 |
伝承内容 | 碑文が確認できないため不詳(碑は、横須賀港に入港しようとしていたなだしおと浦賀水道から太平洋に出ようとしていた第一富士丸が衝突し第一富士丸に乗っていて亡くなった30人の鎮魂のために建てられた。裁判では衝突の主因はなだしお側の不当運航にあり、第一富士丸側にも回避の注意を怠った非があるとした) |
東京湾の出入口に位置する浦賀水道は東西方向と南北方向の船が行き交う世界でも有数の過密航路で、海運関係者が「信号機のない交差点」にたとえるほどの難所だ。海難事故もしばしば発生し、航行する船には特に慎重な操船が求められる海域とされている。まさにその海で1988(昭和63)年7月23日、海上自衛隊の潜水艦「なだしお」と遊漁船「第一富士丸」が衝突する事故が起こった。富士丸は衝突からわずか2分ほどで沈没し、乗員・乗客48人のうち30人が死亡、17人が重軽傷を負った。裁判では、なだしお側に衝突の主因があるとしつつ富士丸側にも一部責任があるとして、艦長と船長双方に有罪判決を下した。犠牲者を追悼する碑は現場海域に近い海上自衛隊の施設内に建てられている。
海難審判や裁判の記録が語る事故の概要は次の通りだ。