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先人からのメッセージ~碑に刻まれた災禍の記憶~ ⑧ | 男性が戦争に駆り出された戦時下の教育

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先人からのメッセージ~碑に刻まれた災禍の記憶~ ⑧ |  男性が戦争に駆り出された戦時下の教育

先人からのメッセージ~碑に刻まれた災禍の記憶~ ⑧

 

 「天災は忘れたころにやって来る」。物理学者・寺田寅彦(1878~1935)のことばと伝わります。備えをおこたってはいけないという戒めの名言として知らない人はいないでしょう。ただ、私たちはその重みをどこまで実感しているでしょう。近年の出来事を振り返ると「こんなこと想定外だった」と釈明されることが多すぎはしないでしょうか。実のところ人間は元々そう言いたがる生き物なのかもしれません。そんな本性を知っていたから、先人は消してはいけない記憶を碑に刻んで後世に伝えようとしたのではないでしょうか。先人のそんなメッセージの遺る碑が日本各地にあります。国土地理院は天災を後世に伝えるそうした碑の記号を新たに作り、2019(令和元)年から「自然災害伝承碑」として地理院地図に載せ始めました。私たちも、人々の安全と安心を守るためのセキュリティ・ニュースを発信する会社として、天災はもちろん、人が引き起こした禍の記憶を伝える碑も各地に訪ね、先人からのメッセージを紹介したいと思います。「想定外」が一つでも減ることを願いつつ。

 
 

男性が戦争に駆り出された戦時下の教育

 

手賀沼の水難事故で亡くなった若い女性教員らを悼む碑

 
 
関東大震災殉難碑
碑の概要
碑名 手賀沼殉難教育者之碑
災禍名 手賀沼教育者殉難
災禍種別 突風による定員超過の渡船転覆
建立年 1948(昭和23)年
所在地 千葉県我孫子市中里
伝承内容 戦時下の1944(昭和19)年11月22日、研修会場に向かう途中だった国民学校教員ら44人と一般人6人が乗った手賀沼の渡し舟3艘が突風にあおられて転覆。教員14人を含む18人が水死した。
現在の根府川駅舎。左側の故屋根の軒先に碑がある
干拓後の「手賀川」にかかる
水道橋から事故現場方面を見る
 ありったけの国力を戦争に向けていた1940年代前半、男性は戦地に駆り出され国内では「銃後の守り」と称して軍需物資の製造工場を中心に様々な場面で女性が「勤労奉仕」を課せられていた。国民学校などの教育現場でも男性は校長や教頭だけで他は女性教員という状態になっていった。女学校を卒業したばかりの十代の先生もいた。そんなご時勢の1944(昭和19)年、千葉県の手賀沼で教育研修の会場に向かう途中だった若い女性教員らを乗せた渡し舟が強風にあおられて転覆し、18人が亡くなる事故が起こった。定員超過が原因とされるが、沼の近くにある我孫子市中里の市立湖北小学校には犠牲者を悼む「手賀沼殉難教育者の碑」が建っている。
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