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先人からのメッセージ~碑に刻まれた災禍の記憶~ ⑤ | 東京湾の高潮被害 持宝院「大正六年海嘯横死者供養塔」ほか

特集記事インタビュー
先人からのメッセージ~碑に刻まれた災禍の記憶~ ⑤ |  東京湾の高潮被害 持宝院「大正六年海嘯横死者供養塔」ほか

先人からのメッセージ~碑に刻まれた災禍の記憶~ ⑤

 

 「天災は忘れたころにやって来る」。物理学者・寺田寅彦(1878~1935)のことばと伝わります。備えをおこたってはいけないという戒めの名言として知らない人はいないでしょう。ただ、私たちはその重みをどこまで実感しているでしょう。近年の出来事を振り返ると「こんなこと想定外だった」と釈明されることが多すぎはしないでしょうか。実のところ人間は元々そう言いたがる生き物なのかもしれません。そんな本性を知っていたから、先人は消してはいけない記憶を碑に刻んで後世に伝えようとしたのではないでしょうか。先人のそんなメッセージの遺る碑が日本各地にあります。国土地理院は天災を後世に伝えるそうした碑の記号を新たに作り、2019(令和元)年から「自然災害伝承碑」として地理院地図に載せ始めました。私たちも、人々の安全と安心を守るためのセキュリティ・ニュースを発信する会社として、天災はもちろん、人が引き起こした禍の記憶を伝える碑も各地に訪ね、先人からのメッセージを紹介したいと思います。「想定外」が一つでも減ることを願いつつ。

 


 

東京湾の高潮被害 持宝院「大正六年海嘯横死者供養塔」ほか

 

 新たな脅威 「温暖化」がもたらす凶暴台風 

 


 

大正六年海嘯横死者供養塔
碑の概要
碑名 大正六年海嘯横死者供養塔、砂村波除地蔵由来碑
災害名 大正六年の高潮(1917年10月1日)
災禍種別 高潮
建立年 1917、 1918
所在地 東京都江東区北砂4-22-6、同区南砂2-23-9
伝承内容 大正6年(1917)9月30日から10月1日未明にかけて東京地方を襲った台風により沿岸地帯は高潮に見舞われ、江東区のほぼ全域が床上浸水の被害を受けた。犠牲者の慰霊のために供養塔と地蔵尊・碑が建立された。

大正六年海嘯横死者供養塔

波除地蔵と由来碑
波除地蔵と由来碑

 「高潮」といわれても、その怖さがピンとこない人が多いかもしれない。私自身、津波や堤防決壊の方に関心が向きがちだった。しかし今回、東京都江東区の「ゼロメートル地帯」を訪ね歩いて考えが変わった。高潮は決して侮ってはいけない災害だったのだ。中でも持宝院(同区北砂4-22-6)の「大正六年海嘯(かいしょう)横死者供養塔」や道端のほこらにある「砂村波除地蔵由来碑」(同区南砂2-23-9)は1917(大正6)年にあった高潮被害の恐ろしさを今に伝える。近年は「地球温暖化」がもたらす「凶暴化」した台風が日本に接近する例が増えていることを示すデータも明らかになった。高潮は古くからあり、かつ今また新たな脅威にもなっている。

江東区役所にある水準標。赤矢印の所が大正6年の高潮の潮位
江東区役所にある水準標。
赤矢印の所が大正6年の
高潮の潮位

 東京都や東京湾沿岸各自治体に残る資料、新聞記事などによると、1917年9月24日にフィリピン沖で発生した台風は30日夜に静岡県に上陸。夜半過ぎに関東地方の西側を通って翌朝には福島県に達して足早に日本列島を駆け抜けていった。東京近辺にあったとき、その勢力は中心付近の気圧が952hPa、最大風速は秒速43mにまで達していた。10月1日の東京湾の満潮は5時21分。その潮位上昇に重なって台風の気圧低下による「吸い上げ」と台風の南寄りの暴風による「吹き寄せ」で海面が一気に上昇した。江東区では東京湾の干潮時に比べて潮位が4.21mも高くなり、流れ込んだ海水で家屋の全半壊や流失が相次いだ。この高さは今でも気象庁東京検潮所の観測史上最高潮位だという。「東京市史稿港湾篇第1」によれば、東京の被害は死者・行方不明者1301人、全半壊家屋約64000棟、流失家屋約2400棟にも及んだ。隣の千葉県でも甚大な被害が出た。

当時の被害の様子を伝える写真(「大正六年十月一日暴風被害」都立中央図書館蔵)
当時の被害の様子を伝える写真
(「大正六年十月一日暴風被害」都立中央図書館蔵)

 砂町銀座からほど近い持宝院の供養塔は、境内入口から左奥に入った石塔などが並ぶ一角にある。碑面には「南無阿弥陀仏」と彫られ、この高潮で犠牲になった近隣の147人を供養する旨が記されている。「竹内文五郎」という人が64歳のとき、災害のあったその年に建立した。持宝院の板橋賢英・住職によると、ご当人はこのあたりの名士だったというが、現在は一族の人たちはもう住んでいないとのことだった。慰霊に訪れる遺族もいないが、ときどき地元の小学生が課外授業の一環で来ることはあるそうだ。板橋住職は「この地区を襲った災害の記録を残す大切な碑です」と、一般の人の見学も受け入れている。

 持宝院から南に下る。仙台堀川公園を越え南砂三丁目交差点を右折して貨物線の踏切を渡るとすぐ左に小さなほこらがある。砂村波除地蔵尊だ。中には赤い衣をまとったお地蔵さんと賽銭箱、左側に「砂村波除地蔵由来碑」がある。碑面の文字はなんとか読める。「大正六年十月一日のつなみ(※)で多くの人が亡くなったので、供養のためにこの地蔵尊を建てました」と書いてある。発起人は「砂村新田元メ耕地一同」。全員の名前が「いろは順」で並ぶ。災害翌年の建立だ。村の人たちの身近な人が大勢亡くなったに違いない。ほこらの前には地蔵尊の南砂二丁目保存会が奉納した紅白の幟が立ち、お地蔵さんには新しい花も供えられていた。(※持宝院の碑の「海嘯」も「潮つなみ」といわれる高波だが地震の津波とは発生の仕方が違う。昔は高潮も「つなみ」と呼ばれていた)

 高潮はそれ以前も繰り返し湾岸地区を襲っていた。同区の洲崎神社(木場6-13-13)には江戸時代の1791(寛政3)年の高潮被害を記した「波除碑」もある。多数の死者・行方不明者が出たため幕府は人が住まないよう神社から西に長さ約520m、幅約50mの区域を買い上げて空き地にし、両端に波除碑を建てたという。対になる碑は同区牡丹3-33の平久橋西側のたもとにある。

地下鉄大島駅にあるプレート
地下鉄大島駅にあるプレート

この橋を含め、このあたりの水路や川を渡るたびに、大きな橋でなくても位置が高い気がしていた。見下ろす地面が低いことを思い出し、合点がいった。通りを歩いているときは「ゼロメートル」を意識しないが、水面がある所だと土地の低さを否応なく見せつけられるわけだ。そういえば、地下鉄大島駅の出入口には頑丈な防水扉があり「この出入口は海抜約-2.2m」と書いたプレートがあった。地下空間の利用が進んだ現代は、昔より高潮の危険度が増したといえるかもしれない。浸水で停電すると地下は真っ暗になる。出入口だけでなく、換気口や採光窓などからも水が流れ込み、避難しようとしても水圧で避難口のドアが開かない可能性もある。エレベーターはもちろん使えない。地下空間からの避難方法をあらかじめ考えておく必要があると感じた。

気象研究所・山口宗彦氏の「地球温暖化が台風に及ぼす影響」から
気象研究所・山口宗彦氏の「地球温暖化が台風に及ぼす影響」から

 高潮のもう一つの危険要因は「地球温暖化」である。ただ、「温暖化」という表現は要注意だ。「温暖」ということばには優しげな印象があり、その「仮面」が、現象のはらむ危うさを見えにくくしているように思うのだ。個人的には「高温化」「灼熱化」を使うべきと思うが、その「温暖化」の決して優しくない一面を、気象庁気象研究所の山口宗彦氏が「地球温暖化が台風に及ぼす影響」(2020年10月)で明らかにした。それによると、東京に接近した台風は1980年~1999年が31個だったのに比べ、2000年~2019年は47個と1.52倍に増えた。しかも強度(=中心気圧)が980hPaより低い(=強い)ものが2.5倍にもなった。山口氏は他の研究者の成果や様々なデータも踏まえて「地球温暖化で猛烈な台風の頻度が日本の南海上で高まる」と結論付けた。

「ここにいてはダメです」と素早い区外避難を訴える江戸川区水害ハザードマップ
「ここにいてはダメです」と
素早い区外避難を訴える
江戸川区水害ハザードマップ

 同様の危機感から「米国ハリケーン・サンディに関する国交省・防災関連学会合同調査団」は2013(平成25)年10月に「超巨大台風がおこす高潮による首都圏大規模水害からみなさんを守るために」というパンフレットを出した。今や特異とは言えない中心気圧911hPaの室戸台風級の台風が東京湾の西側を通過する想定で被害を予想。浸水面積はゼロメートル地帯を中心に約280km2、死者数は7600人に達するとした。浸水想定図も示し、事前にリスクを知って対策を考えておくように求めた。江東区と荒川をはさんで隣接する江戸川区の危機感はより強烈である。「江戸川区水害ハザードマップ」は、こうした浸水が起こるとき「ここにいてはダメです」とまで書いた。浸水のない神奈川や埼玉、茨城などへ一刻も早く逃げるよう呼びかけている。

 

国土地理院地図に加筆

 


 

碑から受け取ったメッセージ:

「温暖の『仮面』が研いでる潮の牙」

あなたは?
 

(阿部 治樹)

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