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優成サービス株式会社 八木正志会長(71)④ 【私の警備道】~第4回 「福祉バイオトイレカー」誕生~

私の警備道特集記事インタビュー
優成サービス株式会社 八木正志会長(71)④ 【私の警備道】~第4回 「福祉バイオトイレカー」誕生~

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第3回 建設作業と誘導作業を一体化「ハイブリッド警備」を経営の柱に

 

第4回 「福祉バイオトイレカー」誕生

 


 

「自前のトイレを現場に持って行こう」

 

 八木会長はかねてから、工事現場や交通誘導現場のトイレ事情に改善の必要を感じていた。自分も含め、現場ではどこで用を足すかが結構切実な問題だった。仮設トイレがあるとは限らない。昔と違って、そこらで失敬、というのはご法度。すぐに「なんだあそこの警備会社は。モラルがなってない」と信用にかかわる。お茶を1本買ってコンビニのトイレを使うといっても、泥やセメントまみれの作業靴では気が引ける。従業員に心の中では「あいつら平気で汚す」と毒づかれているに違いない……。仕事も増えてきたところだ。八木会長は「いっそ、自前でトイレを持って行こう」と決心した。

 しかしここでも法規制の壁に突き当たる。一般に売られている仮設トイレをトラックに積んで運ぼうと考えたが、し尿についての法律では中のし尿が周囲に飛散する恐れがあるとして通常の道路運搬ができないという。「ならば」と、水分を吸い込むおがくずでし尿処理をするトイレだと大丈夫なはずだと踏んで陸運局に認めてもらおうとしたら「前例がない」。しかし、ここでもあきらめの悪さが頭をもたげる。トイレを積むための専用トラックを買い、専門業者に車体改造を依頼してトイレ積載カーを造らせた。陸運局に提示したが不備を指摘されて却下。直して行くとまた次の不備で造り直し。指摘を小出しにされて、ここでもあきらめるのを待たれていると感じたが、めげずに繰り返した。


 

渋滞対策に活用を

 

トイレのほか休憩室などを備えた「野外_作業支援車」
トイレのほか休憩室などを
備えた「野外_作業支援車」

 結局、6回目の改修で許可が下りた。2008(平成20)年5月、「糞尿車」として特殊用途車両の「8」ナンバーを取ることができた。この車はトイレのほか休憩室、日よけタープ、折り畳みテーブル、カラーコーン積載スペースなどを備えている。会社は建設・警備両面のサポート用に使い始めた。こうした組み合わせは前例がなく、「野外作業支援車」として実用新案も取れた。それから少しして八木会長はこんな話を耳にした。――高速道路で事故や渋滞が発生すると、トイレがある次のパーキングエリアなどにたどりつくのに時間がかかり、特に女性と子どもがつらい思いをしている――

 なるほどそうだと思い、この車を渋滞の〝名所〟として知られる山梨県の中央高速道路・笹子トンネル近辺で渋滞時トイレとして使えないかと、高速道路を運営するNEXCO中日本に持ちかけた。この時は道交法で高速道路の駐停車が禁じられていることが壁となり実現しなかったが、NEXCO中日本に特長を認められ、2009(平成21)年のお盆から、笹子トンネルに隣接する同社の管理地に設置される臨時トイレの一つとして出動することになった。


 

車いすの人からの一言に発奮

 

「福祉バイオトイレカー」は
働く車を集めた図鑑にも載った(左ページ下)。

 この車が活躍していた2010(平成22)年のある日。八木会長はある現場でこの支援車を興味深げに見ている車いすの男性に気が付いた。何かあったのかなと思い声をかけたらこんな言葉が返ってきた。

 「いいですね、この車。私たち車いすの人間には、野外でこんな風に使えるトイレがほとんどないんです」

 横浜博覧会で警備隊長をしていたときに出会った車いすの男性の姿とダブった。八木会長はこの時も決意する。「この車、車いすで使えるように造り変えよう」

 最初のトイレ積載車を造るのにすでに何百万円もかけていた。「世のため人のため」とはいえ、自分の思いで会社にあまり迷惑はかけられない。それ以来、八木会長は夜の付き合いをはじめ、費用がかかる活動をやめることにしたという。


 

「トイレカー」障害者向けに進化

 

進化した「福祉バイオトイレカー」を
運転する八木会長

 野外作業支援車から福祉車両へ。八木会長は車両改造業者と何度も車の構造について話し合った。条件は、水がないところでも使えるバイオトイレを積んでいること、電動リフトが装備されていること、バイオトイレがし尿を分解するのに必要とする熱やかくはん装置を作動させる電気を可能な限り太陽光から取り入れるソーラーパネル・蓄電するバッテリーを備えること、電源がなくてもリフトが動かせるようよう発電機も搭載すること、などなど。進化した「福祉バイオトイレカー」は、海老名市の福祉団体主催の花見会をはじめ、肢体不自由児者父母の会の一泊旅行や車いすマラソン大会、B1グランプリ会場、各種の祭りにほぼ毎月、出動依頼を受け出て行った。

 
 
 
 

 そんな日々のなか、あの時が来た。2011(平成23)年3月11日午後2時46分。東北地方を中心にマグニチュード9.0の巨大地震が日本を襲った。

(阿部 治樹)


 

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