講演・「世界一のカリスマ清掃員」新津春子さん | ビルメンヒューマンフェア&クリーンEXPO2021
「一歩踏み出すと興味がわいて楽しくなる」
今回のフェアは講演会・セミナーがいくつもあったが、そのうちの「世界一のカリスマ清掃員」と呼ばれる新津春子さんの話を聞きたいと思い、会場に入ってみた。新津さんは羽田空港の建物を管理する「日本空港テクノ株式会社」の社員。日本人残留孤児の二世として中国・瀋陽に生まれ、17歳で来日。高校に通いながら清掃のアルバイトを始めたのがこの業界に入るきっかけとなった。来日以来、通算約35年の清掃キャリアがあり、その技術や気配りには絶大な信頼が寄せられている。同社が管理する羽田空港の建物の総床面積は東京ドーム約19個分の89万㎡。その掃除を約500人の清掃員が担い、「世界一清潔な空港」との評価を定着させたが、新津さんはその栄誉を勝ち取るうえでの立役者だ。24歳から働く同社で唯一の「環境マイスター」でもある。
事前に発表されていたテーマは「これからのビルメンテナンスやハウスクリーラングの在り方」だが、新津さんは「清掃員としての立場から体験したことを話したい」と語り始めた。
印象に残った言葉が「ロボット人間」。言われた通りにしか動かない人のことを指すという。「この扉を拭いて」と言われたら扉は確かに拭くけれど扉の枠は拭かない。そんな人が周りに結構いたのだそうだ。それに対して必要なのは何をすればいいのか考えることだという。言葉に込められた意味、求められていることを考えることか。新津さん自身は、指導役となって2015年から空港清掃の現場から離れた時、自分に求められていることは何かと考えた。もちろん、後進を育てる役割が望まれていることは承知している。でも、自分としては現場の感覚を忘れたくない。そんな葛藤の中で浮かんだのが「ハウスクリーニング」だった。しばらくして会社に提案したら最初の反応は「何考えてるの」だったという。東京にハウスクリーニングの会社はあまたある。今さら参入しても勝ち目はない、ということだった。でも新津さんはあきらめなかった。「やってみなければ分かりません」。
新津さんは、「羽田空港しかやっていない会社がだめになったらどうしますか」とまで言った。「これほどの会社がつぶれることなどない」と返されたが、負けていない。「信用できません」。つぶれなくても仕事が減ったら自分たちは切られることになる。空港以外の職場があればそちらに回れる可能性がまだある。「一種の保険です」と主張した。すでに本を何冊も出し、テレビや新聞などマスメディアに登場して「世界一のカリスマ清掃員」と呼ばれていた新津さんとしては、「売り」のない単なる事業拡大とは違うという自負もあったに違いない。粘り強く説得を続け、約2年後の2018年、ハウスクリーニング部門を設けることができた。コロナ禍でしばらくの間、羽田空港をはじめ各地の空港は閑散とした状態が続いた。新津さんも羽田空港ビルで数百メートルにわたって人っ子一人見かけなかったことが何度もあったという。清掃業務が減ったのはもちろんのこと、世界の航空業界では経営破綻や大手を含め客室乗務員の休職や解雇、配転、副職の勧めなどが拡大した。「倒産などありえない」という言葉が幻想にすぎないという現実を目の当たりにしたいま、新津さんの主張が決して荒唐無稽ではなかったのだとつくづく思う。ちなみに、コロナ禍で逆に、新津さんたちのハウスクリーニングは依頼が増えたそうだ。
もう一つなるほどと思ったのが、「一歩踏み出す」ということ。現場では日々、新しい建築素材や家の造りに出会う。新津さんはそんな時、それらをどう掃除すればいいのか、何を使えばいいのかなどをよく考える。そうして実際にやってみて思ったこと、分からなかったこと、改良してほしいところなどがあったら、そのままにしない。メーカーにアピールすることも必要だと考えている。実際に休みの日を使ってあるハウスメーカーに電話してアポを取り、「この構造だと手が入らず、掃除できない」と指摘しに行ったこともあった。メーカー側は掃除のことまで考えていなかったと耳を傾け、改善につながったという。新津さんは言う。「私は掃除が好きだからここまでするのかもしれません。でも、好きじゃない人であっても、一歩踏み出してみて下さい。興味がわいて、楽しくなっていくはずです」。「気配り」「聞く耳を持つ」など、他にも「なるほど」「やっぱり」とうなずくことも多かったが、全体として、新津さんのどこまでもポジティブで実行することをためらわない姿勢が強く表れていた講演だった。
(阿部 治樹)