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株式会社セキュリティ 代表取締役:上園俊樹③ 【私の警備道】~第3回 埼玉県警備業協会~

株式会社セキュリティ 代表取締役:上園俊樹③ 【私の警備道】~第3回 埼玉県警備業協会~

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前回をまだ読まれていない方は第一回もしくは第二回からどうぞ

第1回 サラリーマンから警備業への転身
応援団で鍛えられたバンカラ精神 / 近大マグロの養殖に明け暮れた大学時代 / 「警備の仕事は面白い」という話を聞いて…… / 共同で立ち上げた警備会社を辞め独立を決意

第2回 株式会社セキュリティ設立
独立・起業で一国一城の主人に! / ふりかかる警備業の難題 / 東日本大震災復興支援活動

近大マグロの養殖に明け暮れた大学時代、人事部に配属され人材採用の経験を積んだサラリーマン時代、覚悟を決めて警備業の世界に足を踏み入れ34年。魅力溢れる警備業のあり方を目指して警備道を邁進し続ける!

 

第3回 埼玉県警備業協会

 
1988年(昭和63年)、埼玉の地に「株式会社セキュリティさいたま」を開業。安全と信用をスローガンに、独自の採用システムと専任教官による教育システムで人材を育成し、新時代に向けたセキュリティを目指し躍進。その機動力の源となっているのが、現社名「株式会社セキュリティ」代表取締役の上園俊樹である。


 

総合センター竣工

 

1970年(昭和45年)に設立された、任意団体埼玉県警備保証連絡協議会は、1986年(昭和61年)には、公益財団法人埼玉県警備業協会に改編。それから2年後の1988年(昭和63年)に上園は「株式会社セキュリティさいたま」を立ち上げ、埼玉県警備業協会に加盟している。

埼玉県警備業協会総合センター全景
(埼玉県警備業協会ホームページから)

上園が協会に加盟した翌年、1989年(平成元年)の第7回通常総会において、自前の事務所と特別講習会場を建設するための資金積み立てが決議される。それは、全国の警備業協会で初となる総合センターを造るという画期的な事業だった。夢を実現するために会員一丸となって邁進し、15年近い歳月を費やし、2003年(平成15年)にやっと建設資金の目処がたつ。ところが、施設や建設候補地探しが思いのほか難航。会員からの情報収集をはじめ、関係機関や関係者に依頼するなどして協会組織をあげて候補地を探していたが、なかなか適当な物件が見つからなかった。

「全国のほとんどの警備業協会がそうですが、埼玉県も総合センターができるまでは、特別講習は会場を借りて行っていました。しかし、場所を借りていると施設にご迷惑をおかけすることもあり、正直いって心苦しい思いも少なからずありました。それで、何としてでも自前の研修センターを造ってやるという強い気概がありました」と、当時、協会の教育委員長と副会長を兼任していた上園も、候補地探しに躍起になっていた。

埼玉県警備業協会総合センター全景

そんな上園の熱意が天に通じたのか、川越の地権者に相談を持ちかけたところ、思わぬ掘り出し物件が見つかった。埼京線・南古谷駅から徒歩7分ほど、交通の便も抜群な元幼稚園の土地だった。さっそく理事会ではかられ、総会で承認されることとなる。
そして、2009年(平成21年)3月に建設が始まり、その年の11月に埼玉県警備業協会総合センターが完成。鉄筋コンクリート3階建て。研修室・4室、収容人数・240人、300平方メートルの体育館を併設。さらに、総合センターから徒歩10分ほどの所にある、約830坪のグラウンドも使用可能な堂々たる施設だ。

当時の会長・樋口恵二郎氏は、竣工式で次のように挨拶(抜粋)している。
「本日ここに、当協会の長年の夢でありました、自前の事務所であり教育センターであります『社団法人埼玉県警備業協会総合センター』がめでたく竣工いたしました。誠に感無量でございまして、全会員と喜びを分かち合いたいと思っております」

「私たちは、『安全・安心産業』として、社会の要請と国民の皆様の期待に応えていかなければなりません。そのためには、現場で直接安全・安心業務を担う警備員個々の能力を高め、質の高い警備業務を提供することが極めて重要であると考える次第であります。このような重責を果たすため、このたび竣工なった『総合センター』を警備教育の最重要拠点として、また『安全・安心百年計画』の推進基盤として最大限に活用して参りたいと考えております」


 

警備業協会会長就任

 

2010年(平成22年)に樋口恵二郎氏(右)から引き継ぎ
埼玉県警備業協会会長に就任
(埼玉県警備業協会30周年記念誌から)

この後、樋口恵二郎氏が体調不良により会長を退任することとなり、2010年(平成22年)4月1日に上園が埼玉県警備業協会会長に就任する。

会長になる以前、協会の教育委員長だった上園は、警備業法のあり方について、詳細かつ具体的な検討を加えるべく、2002年(平成14年)に立ち上げられた「警備業法制に関する作業部会」に参加している。そこで上園は、交通誘導など2号警備の検定資格の必要性について意見を述べるなど、2005年(平成17年)に施行された「改正警備業法」に関わった経緯もあり、警備員の教育について強い思い入れがあった。それだけに、総合センターの完成は人一倍に万感極まるものがあった。さらに、自分が会長に選ばれることとなり、不思議な縁のようなものを感じたという。

総合センターができたことで、毎日が教育訓練の日々が続く。まさしく、警備教育の最重要拠点、安全・安心百年計画の推進基盤として、最大限に活用されることになる。上園も検定のたびに挨拶を行うなど、会長としての普段の仕事が増えた。さらには、2011年(平成23年)に起きた東日本大震災の支援活動、2013年(平成25年)には公益財団法人から一般社団法人への移行手続きなど、会長に就任していた5年間も多忙な日々を過ごす。

2015年(平成27年)に埼玉県警備業協会の会長を退任した後は、理事を1年務め、2017年(平成29年)からは顧問。埼玉県警備業協会会長の実績が見込まれ、2020年(令和2年)に設立された埼玉県警備業連盟の初代理事長に就任している。

埼玉県警備業協会への貢献が認められ
2017年(平成29年)に贈られた感謝状。

 

所沢市防犯活動

 

埼玉県警備業協会で警備業を推進するとともに、独自で防犯活動においても貢献。2001年(平成13年)、上園は所沢警察署生活安全課とともに「所沢市警備業関係防犯連絡協議会」を設立。防犯に関わる活動を開始している。

2001年といえば、大阪教育大学教育学部附属池田小学校で殺傷事件が発生。危機管理や警備のあり方について、見直しが議論されていた時期でもある。当時、上園は危機管理について学ぶため立教大学の大学院に通って民間の防犯活動をテーマに勉強しており、当時の社会情勢をみて防犯活動の必要性を強く感じていた。そして、実際に自分でも防犯活動をしてみたいという願望を抱いていたのだった。/p>

そこで上園は、所沢警察署の生活安全課に防犯団体をつくれないか相談をもちかける。担当課長の同意を得ることができ、所沢市内に本社、営業所がある警備会社や防犯関連企業に加盟を呼びかけたところ、23社に賛同してもらえた。会長には団体設立の呼びかけをした上園が就任することになった。

防犯パトロールをはじめ、地元の航空公園で防犯、オレオレ詐欺防止などのチラシ配りといった、様々な防犯キャンペーンに参加しているうちに、数ある防犯協力団体の中での認知度が高まっていたった。

そんな防犯活動の功績が認められ、2011年(平成23年)には、地域住民の安全に多大な貢献をしている人などに贈られる「防犯栄誉賞銅賞」(全国防犯協会連合会)を受賞。2020年(令和2年)には、所沢警察署長から感謝状が贈られている。

現在も会長として、所沢市の防犯活動を牽引。今年は新型コロナウィルスの影響で、キャンペーンが中止になるなど活動は限られているが、防犯パトロールなど可能なものは続けられている。

防犯活動に貢献し、2020年(令和2年)
所沢警察署長より感謝状が贈られた。

 
第4回 12/15 埼玉県警備業協会3つの心 / 警備業は育成産業 / 水滴石穿(すいてきせきせん)

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