先人からのメッセージ~碑に刻まれた災禍の記憶~ ⑩ | 関東大震災、闇に埋もれていた日本人惨殺「福田村事件」
先人からのメッセージ~碑に刻まれた災禍の記憶~ ⑩
「天災は忘れたころにやって来る」。物理学者・寺田寅彦(1878~1935)のことばと伝わります。備えをおこたってはいけないという戒めの名言として知らない人はいないでしょう。ただ、私たちはその重みをどこまで実感しているでしょう。近年の出来事を振り返ると「こんなこと想定外だった」と釈明されることが多すぎはしないでしょうか。実のところ人間は元々そう言いたがる生き物なのかもしれません。そんな本性を知っていたから、先人は消してはいけない記憶を碑に刻んで後世に伝えようとしたのではないでしょうか。先人のそんなメッセージの遺る碑が日本各地にあります。国土地理院は天災を後世に伝えるそうした碑の記号を新たに作り、2019(令和元)年から「自然災害伝承碑」として地理院地図に載せ始めました。私たちも、人々の安全と安心を守るためのセキュリティ・ニュースを発信する会社として、天災はもちろん、人が引き起こした禍の記憶を伝える碑も各地に訪ね、先人からのメッセージを紹介したいと思います。「想定外」が一つでも減ることを願いつつ。
関東大震災、闇に埋もれていた日本人惨殺「福田村事件」
行商団の幼児、妊婦を含む9人の犠牲者を慰霊する墓碑
碑の概要 | |
碑名 | 関東大震災福田村事件犠牲者追悼慰霊碑 |
災禍名 | 関東大震災 |
災禍種別 | 流言・飛語で過激化した暴徒による殺人 |
建立年 | 2003(平成15)年 |
所在地 | 千葉県野田市三ツ堀、円福寺大利根霊園 |
伝承内容 | 関東大震災で「毒をまいている」などのデマを信じた暴徒に数多くの朝鮮人が殺されていたさ中の1923年9月6日、香川県から薬の行商に来ていた15人の日本人一行が朝鮮人と疑われ自警団員らに取り囲まれた。香川県発行の行商鑑札(許可証)を提示するなど身元を明らかにしたにもかかわらず2~6歳の幼児と妊婦を含む9人が日本刀やとび口、猟銃で惨殺された(碑文は空白だが建立者からの説明を元に筆者が補記) |
デマが飛び交って多数の朝鮮人らが虐殺された関東大震災。理不尽がまかり通った異常な集団心理状態の中で、旧福田村(現千葉県野田市)では日本人が犠牲になっていた。殺されたのはごく普通の人たちだった。香川県から薬の行商に来ていた15人のうちの9人。3人の幼い子どもや妊婦までもが日本刀やとび口、猟銃などで惨殺された「福田村事件」である。事件は半世紀余りの間、歴史の闇に埋もれていたが、1980年代になってから歴史教育に携わる人や人権問題に取り組む人たちが生存者から証言を聞くなどして、少しずつ真相を掘り起こしてきた。背景には社会の「複合差別」が浮かび上がる。辛く知りたくなかったけれど目を背けてはいけないもう一つの史実。2003年には、事件を記憶し犠牲者を慰霊する墓碑が、現場近くに建立された。