【私の警備道】 警備業の草創期からの話を先達に聞く
私の警備道
~我が国に警備業が歩みを始めて、はや60年近くが経つ。その草創期から現在に至るまでを、先達の足跡とともに振り返る~
新章スタート!
第五章 株式会社五十嵐商会 五十嵐和代社長
警察庁のデータによれば、2019(令和1)年末の時点で警備員の総数は約57万人。そのうち女性は3万7千人未満で全体の6.5%しかいない。警備員が20人いたら女性がどうにか1人いるという圧倒的な「男の世界」だ。まして警備会社の経営者となればさらにその割合が下がるのは言わずもがな。そんな中で20年間、総合ビルメンテナンスの「株式会社五十嵐商会」を率いてきたのが五十嵐和代・代表取締役社長(59)だ。先代が1961(昭和36)年、東京都練馬区に浄化槽の清掃業者として創業して以来、「ていねいな仕事」をモットーに建物清掃、廃棄物処理、警備、資源リサイクル、そして施設の指定管理へと業務を広げ、人間で言えば還暦の節目を迎えた。「セキュリティ」が社会の様々な場面で求められる今の時代、五十嵐社長が唱える信念の一つは「『女性の気付き』は危機管理」である。
第5回 女性の持ち味は「気付き」と「感性」 掲載中こちらをクリック
父の姿に見た仕事へのプライド / 男と女の「違い」を活かして / 東警協に女性部会「すみれ会」を設立 / 流行を追わずに身の丈経営
第一章 KSPグループ創業者 田邊龍美氏
発祥の横浜を本拠に、全国規模で展開するKSPグループ。その創業は今から51年前の1969(昭和44)年、国際警備株式会社の発足に遡る。東京オリンピックの警備で、その存在を知られ、また、宇津井健主演のテレビドラマ「ザ・ガードマン」が好評を博すなど、一般にもその存在が認識されるようになったとは言え、未だ黎明期にあった警備業界。そこに携わる人々の前職は、さまざまであった。
第1回 新聞記者からの転身 緒方竹虎の雄弁に接する / 二足の草鞋 / 最初の警備
第2回 国際警備株式会社 警備業に専念する / 常駐警備へ / 爆弾事件とハイジャック
第3回 官庁警備とM&A 機械警備への対応 / 空港保安から官庁警備へ / 20社に及ぶM&A / 横浜博覧会と本社ビル竣工
第4回 KSPグループ 警備は教育 / 21世紀センター / KSPグループ / 横浜博覧会と本社ビル竣工
第二章 株式会社セキュリティ 代表取締役 上園俊樹氏
近大マグロの養殖に明け暮れた大学時代、人事部に配属され人材採用の経験を積んだサラリーマン時代、覚悟を決めて警備業の世界に足を踏み入れ34年。魅力溢れる警備業のあり方を目指して警備道を邁進し続ける!
1988年(昭和63年)、埼玉の地に「株式会社セキュリティさいたま」を開業。安全と信用をスローガンに、独自の採用システムと専任教官による教育システムで人材を育成し、新時代に向けたセキュリティを目指し躍進。その機動力の源となっているのが、現社名「株式会社セキュリティ」代表取締役の上園俊樹である。
第2回 株式会社セキュリティ設立
独立・起業で一国一城の主人に! / ふりかかる警備業の難題 / 東日本大震災復興支援活動
第3回 埼玉県警備業協会
総合センター竣工 / 警備業協会会長就任 / 所沢市防犯活動
第4回 12/15 埼玉県警備業協会
3つの心 / 警備業は育成産業 / 水滴石穿(すいてきせきせん)
第三章 優成サービス株式会社 八木正志会長
2月13日の深夜、「あの悪夢の再現か?」と震えさせるほどの揺れが福島県と宮城県を中心に広い地域を襲った。不幸中の幸いと言うべきか津波は来なかったものの、土砂崩れや建物の損壊などの被害はそこかしこで明らかになってきた。古い傷跡が癒えきっていない中での復旧作業が始まったが、10年前、打ちのめされた被災者への救援活動の一隅で、深刻なトイレの悩みに手を差し伸べた警備会社があった。神奈川県海老名市の「優成サービス株式会社」である。
同社は独自に開発したトイレカーを保有していて、東日本大震災の発生間もない時から1年7カ月の間被災地を巡って、人知れず辛い思いをしていた女性や障碍者に、ひと時ながらも大切なプライベート空間を提供し続けた。原点にあるのは、同社創業者の八木正志会長(71)が口ぐせのように言う「世のため人のため」という行動原理だった。
第3回 建設作業と誘導作業を一体化「ハイブリッド警備」を経営の柱に 掲載中こちらをクリック
転機になった社員の死亡事故 / 免許と資格の取得にひたすら勉強 / 5年越しの粘り勝ちで建設業許可取得
第4回 「福祉バイオトイレカー」誕生 掲載中こちらをクリック
「自前のトイレを現場に持って行こう」 / 渋滞対策に活用を / 車いすの人からの一言に発奮 / 「トイレカー」障害者向けに進化