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先人からのメッセージ~碑に刻まれた災禍の記憶~ ⑫ | 関東大震災の大火災から延焼免れた神田の町

先人からのメッセージ特集記事インタビュー
先人からのメッセージ~碑に刻まれた災禍の記憶~ ⑫ |  関東大震災の大火災から延焼免れた神田の町

先人からのメッセージ~碑に刻まれた災禍の記憶~ ⑫

 

 「天災は忘れたころにやって来る」。物理学者・寺田寅彦(1878~1935)のことばと伝わります。備えをおこたってはいけないという戒めの名言として知らない人はいないでしょう。ただ、私たちはその重みをどこまで実感しているでしょう。近年の出来事を振り返ると「こんなこと想定外だった」と釈明されることが多すぎはしないでしょうか。実のところ人間は元々そう言いたがる生き物なのかもしれません。そんな本性を知っていたから、先人は消してはいけない記憶を碑に刻んで後世に伝えようとしたのではないでしょうか。先人のそんなメッセージの遺る碑が日本各地にあります。国土地理院は天災を後世に伝えるそうした碑の記号を新たに作り、2019(令和元)年から「自然災害伝承碑」として地理院地図に載せ始めました。私たちも、人々の安全と安心を守るためのセキュリティ・ニュースを発信する会社として、天災はもちろん、人が引き起こした禍の記憶を伝える碑も各地に訪ね、先人からのメッセージを紹介したいと思います。「想定外」が一つでも減ることを願いつつ。

 
 

関東大震災の大火災から延焼免れた神田の町

 

「奇跡」起こした住民の団結と重なった好条件

 
 
「防火守護地」の碑
碑の概要
碑名 防火守護地の碑
災禍名 関東大震災(1923年9月1日)
災禍種別 地震
建立年 1968年
所在地 東京都千代田区神田和泉町 和泉公園
伝承内容 大正12年(1923)9月1日の関東大震災は死者10万人を超える日本史上最大の自然災害であった。特に火災による被害が大きく、20万棟以上の家屋が全焼した。しかし、この付近一帯は、震災直後に町の人が一致協力して消火と延焼を防ぐ努力を長時間続けたことにより焼失をまぬがれた。

 関東大震災は、死者・行方不明者約10万5000人のうちの9割近くが火災によるものだった。中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」の「広報ぼうさいNo.40 2007/7」が伝える関東大震災での火災被害の実態と特徴によれば、延焼は9月1日昼から3日の日中まで続いた。当時の東京市域79.4㎢の43.6%に当たる34.7㎢が焼け、日本橋区、浅草区、本所区、神田区、京橋区、深川区ではほとんどの市街地が焼失したという。そんな中にあって、神田の和泉町と佐久間町の一帯は延焼を免れた。住民たちが団結し消火作業を続けたためである。奇跡的ともいえる功績を後世に伝えようと現地には「防火守護地」の碑が建てられた。ただ、「奇跡」が実現できた背景には、住民たちの努力を生かせるいくつかの好条件が重なっていたことも忘れてはいけないと専門家は指摘し、教訓の正しい継承が大切だと訴えている。

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