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田邊龍美氏 KSPグループ会長 ④ 【私の警備道】~第4回 KSPグループ~

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田邊龍美氏 KSPグループ会長 ④ 【私の警備道】~第4回 KSPグループ~

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第4回 KSPグループ


 

警備は教育

まだ警備の仕事を手がけて間もないころ、人手を求めて新聞に求人広告を掲載すると、多くの人が応募してきた。前職はさまざまであったが、そのなかで、ひと際田邊の目を引いたのは自衛隊出身者だった。「右向け右ができない者がいる」なかで、すでに一定の訓練を経てきた自衛隊出身者は、「態度や言葉遣い、立ち居振る舞いがまるで違っていた」。

そこで自衛隊出身者から選抜し、教育研修専門のスタッフに充てることにした。隊員の質を上げることは、目の前の業務の遂行に寄与することに加え、同業他社との差別化のためにも重要であった。 教育研修部門は、創業前後から行動を共にしてきた三弟の哲人が主に担当した。田邊家は4兄弟であり、次弟の駿輔は電気工事の会社を起こしたのち、国際警備で機械警備や駐車場監視システムの運営を担うこととなった。

また四弟の士朗は、国鉄勤務を経て国際警備に入り、のちにISOの取得などで腕を振るうこととなった。国際警備は、4兄弟がそれぞれの得手を活かした協業の場でもあった。

哲人の場合は、日ごろ武道によく親しんでいたことから、教育部門は、謂わばうってつけの配置であった。社内には、さっそく武道場が設けられ、哲人の下で研修施設として活用されていく。

研修風景

また、当初自衛隊出身者を中心に担われていた社内研修は、のちに警察出身者を加え、それぞれの長所を活かしながら進められていった。 創業当初の、登録者を集めて必要に応じて現場に送り出す時代から、常駐先が増え、常勤者を多く採用するにつれ、教育も「右向け右」を速やかに実行できるようになるといった初歩的なものから、その意義と目的を広げていく。

「大学を出て、きちんと勤めてきた人を採用すると、元いた会社のやり方や考え方が染みついている。しかも言うことも達者だ。それを、警備に出す相手の会社に沿うように仕向けて行く必要がある」と、田邊は研修の目的を語る。

だから「人格をコロッと変えさせないといけない」。田邊曰く、「警備は教育産業」なのだという。

21世紀センター

21世紀センター

1972(昭和47)年に定められた警備業法では、警備業者は届出制度となり、また警備員に対する教育、指導、監督が義務付けられた。次いで1982(昭和57)の改正では資格、検定制度が設けられた。

それにより研修の内容も、従来のものに加え、それらの資格、検定の取得を見据えたものに発展していった。 研修は、従前より泊りがけで行うものもあり、当初は講堂のある旅館などを借りて行っていた。

ただ、対象とする人数も増えてくると、コンスタントに研修を進めるためには、自前の施設が必要と感じられた。 1994(平成6)年2月、国際警備は、横浜市保土ヶ谷区に研修施設「21世紀センター」を開設した。1500平方メートルの敷地にちょっとした体育館といった広さの研修室と、研修参加者のための宿舎が建つ。研修室は150名、宿舎は30名ほどを収容できる。場所は最寄りの駅から徒歩10分ほど。

周辺に人家はあるものの、まだ規模の大きな農地が残る高台の立地である。 「研修で大きな声を出すので、最初は近所から苦情が出たが、しばらく経つと、警備会社があるので泥棒が減ったと言われるようになった」と田邊は振り返る。

開設から四半世紀が経つ現在、周辺地域の宅地化はさらに進んでいるが、警備会社の研修所の存在は、地域にすっかり定着している。

KSPグループ

この間の1998(平成10)年、田邊は社長を退任、長らく社内で教育を主に担当してきた三弟哲人が代表取締役社長に就任した。哲人は国際警備での業務のかたわら、新たな武道、護身道を起こしたが、それをのちにスポーツチャンバラと改め、注目を集めていた。

社長退任後の田邊は、代表権を維持したまま会長となり、引き続き経営にあたった。 アメリカに留学し、現地で職を得ていた子息の中(あたる)が、帰国して国際警備へ入社したのは、そのころのことだ。

田邊は「10年で社長にする」と考え、そう伝えもする一方、その方途として、まずは現場へ「一兵卒として入れる」道を選んだ。 配属先は有料駐車場の警備である。そのころ駐車場での料金盗難が発生していた。中は、配属先の業務の流れを覚えると、盗難の発生時間、態様などから当たりをつけ、夜間、人員を出して現場を抑えることに成功した。

「会社の中でも事件の多発する部署だったが、1年ほど経つと本当に事件が少なくなっていた」と、田邊は当時を振り返る。

創立35年式典

2004(平成16)年、国際警備は、その創立35周年と、田邊会長、哲人社長はじめ4兄弟の母、美津子の卒寿を祝う式典を催した。当時亡命中だったペルーのアルベルト・フジモリ前大統領を記念講演の講師として迎えたこの式典で、中は、専務として開会のことばを読んでいる。

そののち副社長として営業を担当するなど、らせん階段を上がるように社内で経験を積んだ中が社長に就任したのは、それから3年後の2007(平成19)年6月のことである。

中が社長に就任して6年後の2013(平成25)年、国際警備はグループ各社を分割・再編。神奈川・東京を中心に展開するグループ本社、株式会社KSP(田邊中社長)と、東日本を中心に事業展開する株式会社KSP・EAST(田邊中社長)、西日本を中心に事業展開する株式会社KSP・WEST(田邊龍美社長)の主要3社と、系列6社の現在の形となった。

「私が会長で会議もリードしてきたが、中社長も自分の意志で会社を経営したいという意欲が強かった」と、再編に踏み切ったきっかけを語る田邊だが、この再編では、以後もKSP・WESTの社長として、自ら経営の陣頭に立つ布陣とした。 なお、このとき従来用いてきた「国際警備グループ」の名称を、「KSPグループ」と改めた。「KSP」は、国際警備株式会社の英文名称、「KOKUSAI SECURITY PATROLS」の略称である。「成田空港ではユーザーの要求により、それまでもKSPの三文字で呼称されてきた。それを採用した」という。

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