先人からのメッセージ~碑に刻まれた災禍の記憶~ ⑪ | 流言・飛語蔓延した関東大震災、多数の外国人が犠牲に
先人からのメッセージ~碑に刻まれた災禍の記憶~ ⑪
「天災は忘れたころにやって来る」。物理学者・寺田寅彦(1878~1935)のことばと伝わります。備えをおこたってはいけないという戒めの名言として知らない人はいないでしょう。ただ、私たちはその重みをどこまで実感しているでしょう。近年の出来事を振り返ると「こんなこと想定外だった」と釈明されることが多すぎはしないでしょうか。実のところ人間は元々そう言いたがる生き物なのかもしれません。そんな本性を知っていたから、先人は消してはいけない記憶を碑に刻んで後世に伝えようとしたのではないでしょうか。先人のそんなメッセージの遺る碑が日本各地にあります。国土地理院は天災を後世に伝えるそうした碑の記号を新たに作り、2019(令和元)年から「自然災害伝承碑」として地理院地図に載せ始めました。私たちも、人々の安全と安心を守るためのセキュリティ・ニュースを発信する会社として、天災はもちろん、人が引き起こした禍の記憶を伝える碑も各地に訪ね、先人からのメッセージを紹介したいと思います。「想定外」が一つでも減ることを願いつつ。
流言・飛語蔓延した関東大震災、多数の外国人が犠牲に
殺気立つ群衆前に約300人の朝鮮人ら守った警察署長
碑の概要 | |
碑名 | 故大川常吉氏之碑 |
災禍名 | 関東大震災 |
災禍種別 | 流言・飛語で過激化した暴徒による騒乱 |
建立年 | 1953(昭和28)年 |
所在地 | 神奈川県横浜市鶴見区潮田町3-144-2、東漸寺境内 |
伝承内容 | 1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災の後、「毒をまいている」「放火をしている」などのデマを信じた暴徒に数多くの朝鮮人が襲われ殺される中、警察署を取り巻いた殺気立つ群衆から約300人の朝鮮人らを守った大川常吉署長を朝鮮人団体が称揚 |
関東大震災は流言・飛語が飛び交い悲劇を招いた災禍でもあった。恐怖から疑心暗鬼や憎悪が増幅して拡散し、理不尽に殺される人々が多数いたのである。最も大きな犠牲を被ったのは朝鮮人だった。犠牲者は約500人から6000人超とするものまであるが、仮に数百人だったとしても大変な殺戮であったことに変わりはない。政府の中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」の報告書「関東大震災【第2編】」(2008年3月)は「自然災害がこれほどの規模で人為的な殺傷行為を誘発した例は日本の災害史上、他に確認できず、大規模災害時に発生した最悪の事態として、今後の防災活動においても念頭に置く必要がある」と述べている。そうした世情の中で、殺気立つ群衆から約300人の朝鮮人らを守った警察署長がいた。署長が眠る神奈川県横浜市鶴見区の寺には、その行為をたたえる朝鮮人団体によって建てられた碑が残っている。