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生涯警備員を全うされた永田逓児さん

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永田逓児さん

 永田逓児さんは、昭和6年9月23日生まれ。出生地は長崎県佐世保市、昭和25年に佐世保高等学校卒業、同年4月米海軍佐世保基地勤務、昭和30年航空自衛隊防府基地第1方面隊入隊、26年間勤務し定年。その後数年間は民間企業の守衛などを経て、平成10年7月に誕生した警備会社((有)ドリーム)―ムに67歳のときに警備員として入社し、令和7年2月21日に警備現場に向かう途中亡くなられた。
 永田逓児さんにとって警備会社ドリームでの年月は、 まさに「生涯警備員」を全うされた26年間であった。
 永田逓児さんは、「生涯警備員」を目指したその志は「人とのつながり」であった。生前の言葉には「自分の年齢で家に籠ってしまうと人との接触がなくなって自分はダメになってしまう」からだと言っていた(ドリーム堀内善弘顧問)。
 永田逓児さんが国家検定取得するに至った経緯は次のとおりである。
 令和3年の5月に入った頃、会社の顧問に永田逓児さんから電話が入った。「今本屋にいます。何軒か回ったのですが、警備の資格試験の問題集などが見あたらないです。どうしたらよいですか」同顧問はその電話内容にとても驚き、警備の国家検定資格の書籍が市販されていないことを伝え、なぜ必要なのかを尋ねたところ、「国家検定資格の必要性を会社の研修で聞いていたので、自分も是非取得して会社の役に立ちたい」と、言ったそうです。
 令和3年12月、いよいよ国家公安委員会の登録講習を受ける日が来た。
 当日神奈川県の講習会場(交通誘導警備業務2級;ポリテクセンター関東)に警備会社ドリームの今釜伸也社長と一緒に受けに行った。

検定合格者の腕章
検定合格者の腕章

 永田逓児さんは、この日のために毎日4時半に起き、2時間、そして仕事が終わった後1時間学科の勉強をし、時には大旗の実技練習を自宅でしていて、「腕が少し曲がっている」と奥さんにも見てもらっていた(同顧問)。
 講習会を終えた2人は、帰りの車中で「落ちたかもしれないからまた頑張りましょう」と話していたほど、合否の心配をしていた。
 新年が明けた令和4年1月、国家資格(交通誘導警備業務2級)の合格の知らせが入った。
 永田逓児さんは、講習会を終えた1か月余り心配のしどうしだったようだ。合格の知らせに「本当ですか」と何回も聞き「ああ、嬉しいです。有難いです」、「妻と九州の妹にも直ぐに知らせます」と声も弾ませ喜んだ(出展「永田逓児物語」堀内善弘筆)。
 警備業の携わる一人として、永田逓児さんの交通誘導へのこだわりと警備員としての誇りは、警備員として働かれている多くの人に知ってほしい。
 警備業は、労働集約型の産業であるが、国民の生活に欠かせない生活安全産業として位置づけられており、なくてはならない産業である。にもかかわらず賃金、福利厚生は決して手厚くない。それが人で不足の要因ともいわれている。2027年には、外国人材を活用した育成制度がスタートする。差別のない適正な労働契約を締結して、日本の警備産業へ定着・貢献してほしい。
 永田逓児さんに続く人は、警備業界にはまだまだ沢山おられるのではないか。是非、身近にいる警備員さんを応援していただきたい。

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