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株式会社アーク警備システム 代表取締役会長 兼 社長:嶋崎八洲男③ 【私の警備道】~第3回 3人のお客様に喜ばれる警備~

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株式会社アーク警備システム 代表取締役会長 兼 社長:嶋崎八洲男③ 【私の警備道】~第3回 3人のお客様に喜ばれる警備~

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第2回 アーク警備システム設立  掲載中こちらをクリック 
最年少課長昇進と華燭の典 / セブン-イレブン入社と退社 / 独立そして警備業への参入  

 

第3回 3人のお客様に喜ばれる警備

 


 

会社設立早々に外れた目論見

 

仲間と一緒に現場に立っていた頃。前列中央が嶋崎氏
仲間と一緒に現場に立っていた頃。
前列中央が嶋崎氏

 やっとの思いで新会社のアーク警備システムを設立したものの、世間はバブル経済がはじけて大変な不景気だった。警備業を始めるにあたって嶋崎が計画していた、セブン-イレブン店舗の巡回パトロールも「ぜひお願いしたい」と頼まれていた店舗から軒並み断られ、開業早々からつまずいてしまった。そのため、営業先を建築会社に切り替えて建設現場の交通誘導警備を受注することにした。受注に備えて警備員の募集をかけたところ100人以上の応募があり、世の中が不況であることを改めて実感したという。その中から6人を採用し、近所の酒屋の2階を借りて警備訓練を開始。嶋崎自身は警備業務の経験がなかったので、講習で知り合った警備員の川上一夫氏に頼んで行なった。6人には日当を支払いながらの訓練だったので、仕事を受注しなければ早々に行き詰まってしまう。焦る嶋崎だったが、3か月経っても仕事を受注することができずにいた。

 渋谷区内の建設会社に手紙を出しても1社も問い合わせがない。建設工事が始まる現場を探しては営業電話をかけまくったが、会ってもらうことさえできない。どのような営業をしたらいいのか分からないまま、手探り状態での受注先探しが続く。初めて受注した仕事は自宅近くの小さな建設現場。しかし、警備が必要なのは1か月に数日程度。そのうち1人辞め、2人辞め、結局残ったのは60歳の男性1人だけ。仕事を受注する難しさだけでなく従業員に給料を支払い続ける難しさを痛感しながらも、「やれば必ずできる」「努力すれば必ず道は開ける」と自分に言い聞かせて営業を続けた。


 

警備員としての気づき

 

 初めて大口の契約がとれたのは会社を設立してから半年後のことだった。自宅から京王線の武蔵野台駅に向かう出勤途中、かつて嶋崎が住んでいた団地近くに新しい建築現場を発見。急いで施工会社の野村建設工業に営業電話をして、自分が以前この団地の自治会長をやっていたことがあり、現在、交通誘導警備会社を営んでいることを告げると、所長に会えることになった。そして、約2年の工期で450万円の警備業務を受注することができた。着工は1か月後。毎日1人、コンクリート打ち作業時は3人の警備員が必要ということだった。しかし、そのとき会社にいたのは60歳の警備員1人だけ。自分を入れても2人。そんなことはおくびにも出さず、しかし内心では責任が果たせるかどうか不安で、手を震わせながら契約書にサイン。それは、これまで嶋崎が行った様々な契約では味わったことのない緊張感があったという。

 なんとしてでも着工までに人手を揃えなければならない。嶋崎は退職した5人に連絡をとり事情を話すと、その中の2人が戻ってくれた。これで自分を含めて4人。なんとか体制が整ったことで、嶋崎の不安は解消され「これでやれる」と自信が深まった。すると次の営業にも勢いがつき、立て続けに仕事が決まった。現場には嶋崎も毎日出て、仕事が終わると事務所で翌日の警備員の配置や手配、請求書発送、求人募集手配などを行い、寝る間もなく働いた。

 そんな忙しい日々を過ごしていた1994(平成6)年春、ある人物が嶋崎を頼って会社を訪ねて来る。嶋崎がセブン-イレブンの店長時代に知り合った、売れない元歌手という経歴を持つイケメン青年だった。ホストやクラブの店長など、接客業でも苦労してきたことを知っていた嶋崎は、警備経験のなかった彼を受注したばかりの現場に入れてみた。イケメンで気配りができて会話も上手い。元歌手ということもありよく通る大きな声で挨拶するので、工事現場の所長や出入り業者だけでなく近所の通行人からの評判も上々。工事が終わると近隣住民からもねぎらってもらい、建設会社からは次の現場の警備も頼まれるほど高評価を得た。喜ばれる警備をすれば、仕事は次々と入ってくる。警備員には経験や技量も必要だが、それ以前に礼儀や節義をわきまえた「人間性」が大切だということを、イケメン青年の仕事ぶりを見て嶋崎は痛感したという。

「当時は私も現場に出ていましたから、危険だと感じたことやどんなことをすればお客様に喜ばれるのか。自分や仲間が経験して気づいたこと、感じたことを毎日メモしていました。それをまとめて独自のマニュアルを作り、スタッフの教育にあたっていました」と、嶋崎。その教育マニュアルは今も引き継がれている。


 

会社理念を掲げて業績急伸

 

 それから嶋崎は、以前に増して警備員の教育に力を入れることになる。その核となったのが「3人のお客様」に喜ばれる警備をするという理念。1人目のお客様は近隣住民の方々。2人目のお客様は建築業者(施工業者)の所長・監督。3人目のお客様は工事現場の出入り業者の方。お客様の立場で考え、行動してお客様に喜んでいただくという、セブン-イレブン時代に嶋崎が教えられた理念を警備員教育に導入したものだ。これはアーク警備システムの基本理念となり、警備員に徹底させることで不況の中でも業績を伸ばしていく。会社を創業した1993(平成5)年は54万円だった年商が、4年後の1997(平成9)年には7000万円と、不景気に逆行して急成長を遂げることとなる。景気が悪くなる(下がる)中で業績を良くする(上げる)ことを嶋崎は「X(エックス)の理論」と呼んで実践。ピンチはチャンスと捉え、その後の危機も乗り越えてきた。

創業20周年を迎え、警備員が100人に到達した平成25年の忘年会
創業20周年を迎え、
警備員が100人に到達した
平成25年の忘年会

 しかし、仕事が増え警備員を増やすことで様々な問題も起きるようになる。「警備員が来ない」「酔っ払った警備員が来ている」「仕事中に居眠りしている」等、現場からのクレームが毎日のように入り、その処理で気が休まる日がない時期もあった。闇金融業者に追われている者、暴力事件を起こす者、電車内で痴漢を働く者もいて、責任者として警察に出頭させられることもあった。一部上場企業の取引先が突然倒産し、会社の資金繰りが苦しいときには自分の預金を社員の給料に充当したこともあった。業績は右肩上がりだったが、決してすべてが順風満帆だったわけではない。

 世の中はリーマン・ブラザーズの経営破綻により世界規模の金融危機が起こり日本は派遣切り問題で揺れ、秋葉原では17人もの死傷者を出した秋葉原通り魔事件が発生するなど、日本経済と社会の安全安心が脅かされていた。そんな世相であっても人手不足で困るほど忙しく業績を伸ばしていた嶋崎は、これからの社会で警備会社が担う使命の重さをひしひしと感じた時期でもあったという。2013(平成25)年には創業20周年を迎え、警備員が100人を超えるまでになり、アーク警備システムは警備業界では中堅企業に成長していた。その年の6月、嶋崎は古希を迎えた。

 

(藤原 広栄)


 
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