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株式会社アーク警備システム 代表取締役会長 兼 社長:嶋崎八洲男② 【私の警備道】~第2回 アーク警備システム設立~

特集記事インタビュー
株式会社アーク警備システム 代表取締役会長 兼 社長:嶋崎八洲男② 【私の警備道】~第2回 アーク警備システム設立~

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少年時代に培われていた商才 / 奇跡の大学合格 / 橋本龍太郎との出会い / 天国と地獄の往来  

 

第2回 アーク警備システム設立

 


 

最年少課長昇進と華燭の典

 

社会調査研究上に入社し、社会人となった頃の嶋崎氏
社会調査研究上に入社し、
社会人となった頃の嶋崎氏

 入社した社会調査研究所は、早くからコンピューターを活用した独自調査と営業スタイルで急成長していた情報処理会社で、学生時代に嶋崎がアルバイトしたことのある会社でもあった。配属されたのは薬業情報研究室。当初は室長と秘書と嶋崎の3人の小所帯だったが、2年後の1970(昭和45)年には薬局事業部に昇格。スタッフも増え、嶋崎は主任として忙しい日々を過ごしていた。都内の薬局をまわり、会社が新設するグループに加入してもらうための飛び込み営業に必死だった。やっとのことで1号店をオープンさせると加盟店が増え続け、嶋崎の営業成績は断トツで伸びていた。「やればできる、必ずできる」という信念と「努力は必ず報われる」ということを身にしみて実感したという。

 ゼロからスタートした薬局事業部は、年商30億円、加盟店舗数500を超える「薬局ボランタリーチェーン」となり、27歳の嶋崎は最年少課長に昇進。若き幹部として仕事をこなす嶋崎が、東京の親戚から1枚のお見合い写真を渡されたのは1972(昭和47)年春のことだった。小柄で可愛らしい印象の女性で、お見合い後はトントン拍子に話が進み、その年の12月10日、華燭の典を挙げた。1974(昭和49)年6月には長男を授かり、家庭は幸せに包まれていた。

 一方、会社では大騒動が起きていた。当時、1400人以上になっていた従業員数が労働組合を結成したことに当時の社長が激怒し、会社をあげて組合潰しにかかったのだ。第1組合に対抗して会社を守るための第2組合を結成。嶋崎は第2組合の中心となり活動することになった。ふたつのデモ隊が衝突しケガ人が続出するなど、新聞でも大きく取り上げられた。労働運動といいながら、その実は組合幹部による会社の乗っ取り運動。結局、本社ビルを占拠した第1組合が乗っ取りを成功させ、創業者社長と第2組合役員は退任を求められていたのだ。


 

セブン-イレブン入社と退社

 

転職したセブン-イレブンで、嶋崎氏が初めて店長を務めた星ヶ丘店
転職したセブン-イレブンで、嶋崎氏が初めて店長を務めた星ヶ丘店
*参考資料/天運 道は開ける(金園社)

 そんな騒動があり退職を意識するようになっていた時期、セブン-イレブン第1号店が豊洲にオープンしたという新聞記事を目にする。アメリカのドラッグストアと一緒にコンビニの研究をしていたこともあり、いよいよ日本にもコンビニ時代が到来すると直感したという。日本におけるコンビニの成功を確信していた嶋崎は、10月に「セブン-イレブン幹部社員募集」広告を目にすると、迷わず応募。1/100の難関を突破し、第2期生として採用される。

「明大、帝国電波、社会調査研究所、そしてセブン-イレブン。ここぞというときの試験突破力は、自分でも驚くところがある」と、嶋崎は振り返る。

 これもまた、奇跡的な出来事のひとつである。1975(昭和50)年2月、嶋崎は社会調査研究所を退職してセブン-イレブンの母体であるイトーヨーカ堂に入社。セブン-イレブン担当となり、会計知識から商品知識、接客の基本などについて研修を受ける。勘や経験に頼らない徹底したデータ主義とシステム思考に心を打たれ、小売業の原点、お客様とは何かということを改めて考えさせられたという。それは、明大の「中野渡ゼミ」に通じるテーマでもあった。

 研修を終えた嶋崎は、単身赴任で福島県郡山市の直営店に3か月勤務。その後、相模原市の星ヶ丘で店長を1年間務める。段階的な経験を積み重ねて店舗指導員になると、出店ラッシュのため寝る暇もないほど仕事漬けの毎日が続く。そしてセブン-イレブンの業績は急速に伸びていった。嶋崎が入社した当時、69しかなかった店舗が、5年後の1980(昭和55)年には1000店舗に達し、東証一部に上場。親会社であるイトーヨーカ堂をもしのぎ、親孝行会社といわれるほど注目を集めた。その後も、店舗の24時間営業化が進み、バブル景気で加盟店も売り上げも順調に伸びていた。ところが、一方では加盟店従業員の採用が間に合わず、人手不足の状況に陥っていた。同じような人手不足問題が、日本中で起きていたのだ。

 そんな折、前の会社(社会調査研究所)の同僚から「中国人を入国させてセブン-イレブンで働かせる構想がある」という話を聞き、嶋崎はすぐに上司に相談した。そして、都内の店に協力してもらい実験的に受け入れてみたところ、出勤しなくなる者が出始めた。1人だけ残った中国人スタッフに事情を聞いてみると、時給が高い仕事に勝手に移ってしまったことを知る。そんな経験もしたが、これからは中国人の人材ビジネス事業が成り立つに違いないと確信。独立して人材派遣事業を立ち上げようと考え始めた。その意志は強く、1988(昭和63)年9月に辞表が受理され、当時の社長・鈴木敏文氏から「奥さんと一緒に頑張れよ」と、励ましの言葉をかけてもらった。

 小さい頃は「社長になる」が口癖で、社会人になってからもいずれは自分で会社をつくりたいという思いが強かったという嶋崎。ただ、どんな会社にするのか具体的なプランを描けずにいた。少年時代は船を浮かべて日本海を眺めながら海の向こうに渡ってみたいという夢を抱いていた(当時は真剣に考えていた)くらい、大陸にはロマンみたいなものを感じていた。だから、中国との人材派遣ビジネスの話を聞いて、大陸と日本を往来して自由に動き回って仕事ができる。そんなところに魅力を感じ、興味が湧いたのだという。

「前の会社(社会調査研究所)を辞めて転職するときも、セブン-イレブンを辞めて独立して起業するときも、妻が反対や不安を口にすることは一切なかった。しかし、特に転職した頃は子供が生まれたばかりだったし、心の中ではとても心配していたのかもしれない……」と、嶋崎は妻の心中を慮る。


 

独立そして警備業への参入

 

 かくして13年勤めたセブン-イレブンを円満退社、翌10月に人材派遣事業を主とした株式会社アーク・コンサルティング・ジャパンを渋谷区幡ヶ谷に設立。三井銀行(現・三井住友銀行)新宿西口支店長だった石橋正通氏が、会社設立にあたって話してくれた中小企業の経営のあり方については、「石橋語録」として現在も会社経営の指針となっている。

第1条 事務所はいまより大きくするな。固定費を増やすな。
第2条 在庫をもった商売はするな(人も在庫と思え)
第3条 出資するな。借金するな。借金しないと経営ができないなら会社を解散しろ。
第4条 銀行にペコペコするな。銀行を有効に活用しろ。支店長に頭を下げさせて、向こうから来社させる会社経営にしろ。
第5条 現金回収は一時も早く、支払いは1日でも遅くやれ。
第6条 会社に有益となる人材や業者を選別し、交流を深めよ。1日は24時間しかない。時間を無駄に使うな。
第7条 会社に必要な机や椅子はひろってこい。リサイクル商品で安く買え。出金は1円でも少なくしろ。ケチに徹せよ。
第8条 年間目標(計画)を立てて、検証せよ。
第9条 会社の理念、コンセプトを明確にし、徹底的に実行せよ。
第10条 会社の利益を出せない社長は失格! 貪欲に利益を追求せよ。甘い考えは命取りになる。

 元号が昭和から平成に変わった1989(平成元)年、アーク・コンサルティング・ジャパンは本格的に業務を開始。石橋氏のアドバイスを真摯に受け止めた嶋崎だが、バブル経済の崩壊で悪化する景気の影響を受けないわけではなかった。主力とするセブン-イレブン店舗への人材派遣依頼が激減。会社存続さえ危ぶまれる状況になっていた。危機感を抱いた嶋崎は、「早急に新しい事業を確立しなければ……」という焦りがあったという。

 そこで、漠然と思い浮かべていたのが警備業だった。当時、万引きや強盗、暴走族などの対応策について、セブン-イレブンの店舗から相談をもちかけられることが多く、リースで防犯カメラを設置する仕事が増えていたこと。嶋崎の会社に加盟しているセブン-イレブン店舗のオーナーが、警備業をしていたことが発想のきっかけとなったという。そこで、店舗を巡回して暴力団・暴走族対策、万引き対策、クレーム処理といった店舗管理(オペレーション)を請け負うパトロール警備を計画。そのオーナーに警備業について話を聞いてみると、「警備業を始めるには免許が必要、警察OBや政治家の力添えが欠かせない」とアドバイスされる。東京都警備業協会に電話して相談してみると、受付の事務員から講習さえ受けるのが難しいと断られる。それでも嶋崎は引き下がらずに再度電話して事務局長につないでもらい、警備業に対する自分の熱意を切々と語り続けた。その熱意が通じ、講習への出席が許可された。

 1992(平成4)年9月、1日8時間、1週間ぶっ続けの講習が始まった。関連する法律知識も多岐にわたり、初めて聞くことも多かった。それでもなんとか試験に合格。代々木警察署に届け出た書類審査も通過し許可書が下り、1993年(平成5年)4月、株式会社アーク警備システムが誕生した。ちなみに社名の「アーク」は、アーク・コンサルティング・ジャパンを設立する際、「ノアの方舟」にちなんで「どんな不幸や災難に見舞われても全員が救われるように」との思いがこめられているのと、NTTの電話帳の一番先に掲載される「ア」から始まる名称ということで用いられた。

 

(藤原 広栄)


 
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