危険意識が低いほんの一部の日本人“是非自分の命は自分で守ってほしい”と心から願う
12日の産経新聞に「自粛生活が飽きたからポーカ賭博をした」という記事を見た。休業自粛をしないパチンコ店の開店を待つ人に、某テレビ局のレポーターが感染機会の高いパチンコをなぜするのかと尋ねたところ、「ここの店が開いていることを知ったから」と言っていた。全く意味不明の言葉が返ってくる。パチンコは健康ならいつでもできるし、健康でなければパチンコもポーカ賭博も面白くないのではないか。ポーカ賭博は違法なことなのでパチンコと同列で言うべきことではないが、少なくとも命がけでやるほどのことはないと誰もが思うところである。
パチンコ店が休業要請に従わないのも問題であるが、開店しても客が来なければ、店を開ける意味がない。もっと大事なのは、感染すると最低でも3週間は隔離され自由を拘束されるし、重篤化すると死ぬ危険性が高い。一番悲しむのはその家族ではないだろうか。PCR検査を受けられずに58歳で父親を亡くされたお嬢さんの悲しみを訴えた記事を昨日読んだ。亡くなられた後からでは、残された家族は悲しむことしか選択肢はない。
緊急事態宣言が解消されても、新型コロナウイルスがなくなるわけではない。よって、少なくとも生活様式は変えざるを得ないようである。
家族を悲しませないように、是非、自分の命は自分で守ることと、トンネル内を無灯火で走る車のように、「自分はライトを点けなくとも前方は見える」ではなく、他のドライバーには無灯火車両が見えにくくなるので、事故に繋がることから、道路交通法でも無灯火が違反行為となる。いわゆる、自分が感染しないことと感染させないことに配慮が必要なのである。
道路交通法は信頼の原則で安全が成り立っている。新型コロナウイルスも信頼の原則でこれからの社会に蔓延させないようにしなければならない。まず3密を厳守し、家族を悲しませないよう、頑張ろう。